木村拓也 氏(きむらたくや)
元プロ野球選手、コーチ[日本]
2010年 4月7日 死去くも膜下出血享年39歳
木村 拓也(きむら たくや、1972年〈昭和47年〉4月15日 - 2010年〈平成22年〉4月7日)は、宮崎県宮崎郡田野町(現:宮崎市)出身のプロ野球選手(内野手・外野手・捕手・右投両打)、コーチ。
愛称は「キムタク」。
アテネオリンピック野球の銅メダリスト。
経歴=
高校時代は捕手を務め、宮崎県立宮崎南高等学校では1年夏の甲子園(70回大会)で1勝、3年春には5打席連続三塁打、高校通算35本塁打の記録を持つ。
遠投120メートルの強肩捕手として鳴らしていた。
父親は旧・田野町の町議会議員を長く務めた地元の名士である。
日本ハム時代=
1990年オフ、捕手としてドラフト外で日本ハムファイターズに入団。
しかし、開幕時の支配下登録の当時の60人枠から漏れ、一度は任意引退選手扱いとなったことがあった。
本職の捕手としての出場機会に恵まれなかったことから、他のポジションを探し、1992年に俊足と強肩を買われて外野手に転向。
広島時代=
1994年オフに長冨浩志投手との交換トレードで広島東洋カープに移籍。
正田耕三の後釜候補として二塁手に就き、以後内野の守備も兼ねるようになる。
1996年オフにスイッチヒッター転向に取り組み、1997年よりスイッチヒッターデビューした。
同年秋季キャンプから故障がちな野村謙二郎の控えとして遊撃手に挑戦。
これが大きな転機となる。
1998年、公式戦で遊撃手として守ったほかに代打の切り札として活躍、盗塁も14個記録してスーパ ……
木村拓也さんが亡くなってから、14年と240日が経ちました。(5354日)