岡冨俊一 氏(おかともしゅんいち)
元競馬騎手[日本]
(1984年オークスをトウカイローマンで制す。)
2024年 5月27日 死去病気享年64歳
岡冨 俊一(おかとみ しゅんいち、1961年8月5日 - 2024年5月27日 )は、鹿児島県出身の調教助手・元騎手。
実子の匠悟は池添兼雄厩舎の調教助手。
来歴=
馬事公苑の騎手養成所を経て、1982年に騎手免許を取得し、栗東・中村覚之助厩舎よりデビュー。
同年3月6日の中京第5競走4歳新馬・インターカーク(9頭中4着)で初騎乗を果たし、同年6月6日の阪神第11競走5歳以上400万下・リニアキングで初勝利を挙げた。
1年目の同年は初勝利を挙げた後、同12日・翌13日と阪神で初の2日連続勝利、26日の中京では初の1日2勝をマーク。
9月12日の阪神では初の1日3勝を記録し、最終的には30勝を挙げた。
2年目の1983年に阪神障害ステークス(春)を覚之助の実子の中村均が管理するキョウエイウオリアで勝ち、重賞初制覇を飾る。
同年にはダートを2連勝したジョーキジルクムで優駿牝馬(オークス)に騎乗するが、中村は開業5年目、担当厩務員はトレセンに入ったばかりの20代であった。
パドックで岡富は顔に真っ青にしたが、レースでは5頭横一線でタイム差無しの史上稀に見る激戦の4着に導く。
2年目の同年も前年と同じ30勝を挙げ、3年目の1984年からは10勝台が続く。
同年のオークスをトウカイローマンで制し自身唯一のGI及びクラシック制覇を挙げるが、この時は緻密な計算で練り上げた作戦を中村から伝授され、岡富も前年の経験から緊張せずに作戦を忠実に実行し、25頭中9番人気ながらダイアナソロンの二冠を阻止 ……
岡冨俊一さんが亡くなってから、178日が経ちました。