坂井千明 氏(さかいちあき)
元競馬騎手[日本]
2024年 1月9日 死去肺血栓塞栓症享年74歳
坂井 千明(さかい ちあき、1951年2月14日 - 2024年1月9日)は、日本中央競馬会 (JRA) に所属していた元騎手[1]。
引退後は競馬評論家[4]。
東京都出身[1][2][3][5]。
来歴・人物=
1970年に騎手免許を取得し[1]、同年3月1日に初騎乗(東京競馬場第8競走、トキノマツカゼで6着)[1][2][3][5]。
同年3月29日、中山競馬場第6競走でファイトパワーに騎乗し、初勝利[1][2][3][5]。
2004年9月30日に引退するまでJRA通算9,864戦688勝(うち障害競走57戦10勝)、重賞11勝の成績をあげた[1]。
1994年には第55回菊花賞でヤシマソブリンに騎乗し、ナリタブライアンに7馬身差ながら2着に入っている[6]。
1990年度と1999年度の厩舎関係者表彰フェアプレー賞を受賞している[5]。
千明塾=
騎手引退後は競馬評論家として活動を行う傍ら、若手騎手の勉強会、通称「千明塾」を主宰し、騎乗のポイントから営業の方法まで、幅広い指導を行っている[7][8]。
同塾の門下生には松岡正海、石橋脩、吉田隼人、丹内祐次、津村明秀らがいる[8][9]。
また大西直宏とともに、国際馬事学校で講師を務めていたこともある[10]。
また、美浦近郊の牧場で騎乗スタッフとしても勤務していた。
2024年1月9日、肺血栓塞栓症のため、死去した[11]。
72歳没。
主な騎乗馬=
アンセルモ(1975年クイーンステークス・牝馬東京タイムズ杯)[1][3]
タケノテンジン(1979年東北記念)[1]
ギンザン(1980年セイユウ記念)[1]
エビスジョウジ(1987年東京新聞杯)[1]
ラケットボー ……
坂井千明さんが亡くなってから、1年と174日が経ちました。(539日)