糸井貫二 氏(いといかんじ)
前衛芸術家[日本]
2021年 12月19日 死去老衰享年102歳
糸井 貫二(いとい かんじ、1920年(大正9年)12月2日 - 2021年(令和3年)12月19日)は、日本の前衛芸術家、ハプニング・アーティスト、ダダイスト。
日本のハプニング・アートの元祖。
1964年東京オリンピックや1970年大阪万博といった高度経済成長の最中に、路上で裸体を用いたハプニングをゲリラ的に行った。
長年美術界から黙殺され、記録資料が乏しいこともあり、しばしば「伝説」と称される。
通称、ダダカン。
映画監督の小田基義は従兄。
元東北放送アナウンサーの天野清子は妹。
幼少期-活動初期(1920-1960)=
幼少期-青年期=
1920年、東京府豊多摩郡淀橋町(現在の西新宿)に生まれる。
1923年の関東大震災で被災。
少年期は祖母や叔母の影響で宗教に親しみ、小学校時代にキリスト教の洗礼を受けた。
小学校の頃から図画工作に親しむ一方で、中学校では器械体操に熱心な学校だったこともあり、オリンピック選手だった卒業生の指導で鉄棒に熱中したという。
1937年東京高等工学校予科に入学するも、単位不足と卒業製図不提出で機械工学科を中退。
1941年、京都の歯切り盤製作会社に入社するも、1943年ノイローゼで退社。
同年8月から10月にかけて、久留米戦車隊に教育招集され、戦車を格納するための穴掘りをさせられる。
1944年4月、京都の西陣織会社の婿養子になる。
1945年、徴用され、福岡県田川の古川大峰炭鉱で米軍捕虜や強制拘引された朝鮮人たちと長時間の過酷な採 ……
糸井貫二さんが亡くなってから、2年と337日が経ちました。(1068日)