後藤比奈夫 氏(ごとうひなお)
俳人[日本]
(本名・日奈夫、俳誌「諷詠」名誉主宰)
2020年 6月5日 死去老衰享年104歳
後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年〈大正6年〉4月23日 - 2020年〈令和2年〉6月5日)は、大阪府出身の俳人。
本名は日奈夫(読み同じ)。
「諷詠」名誉主宰。
父は後藤夜半。
経歴=
大阪府西成郡今宮村に生まれる。
神戸一中、旧制一高を経て、1941年に大阪大学物理学科を卒業。
戦時中は陸軍の技術研究所に勤務。
1947年、大阪市にボン電気会社を設立。
1951年、父・夜半について俳句の道に入り、夜半の主宰誌「花鳥集」に拠る。
「ホトトギス」「玉藻」にも投句し高濱年尾、星野立子に師事。
1954年、「花鳥集」が「諷詠」に改題され、その編集兼発行人となる。
1955年、波電子工業所を創業、1960年に株式会社となり代表取締役に就任。
1961年「ホトトギス」同人。
1976年、父・夜半の死により「諷詠」主宰を継承。
1985年、波電子工業社長を退き俳句一筋となる。
1987年、俳人協会副会長、日本伝統俳句協会顧問、大阪俳人クラブ会長、大阪俳句史研究会代表理事などに就任。
2012年、「諷詠」主宰を息子の立夫に譲り同名誉主宰となる。
2013年現在、俳人協会顧問、日本伝統俳句協会顧問、大阪俳人クラブ顧問、兵庫県俳句協会顧問、大阪俳句史研究会顧問、虚子記念文学館理事、「玉藻」同人会名誉顧問、星野立子賞選考委員などを務めている。
代表句に「東山回して鉾を回しけり」など。
夜半の上方風を受け継ぎつつ、ホトトギス派の信条である客観写生、花鳥諷詠を追求。
ま ……
後藤比奈夫さんが亡くなってから、4年と169日が経ちました。(1630日)