西岡善信 氏(にしおかよしのぶ)
美術監督、映画プロデューサー[日本]
2019年 10月11日 死去老衰享年98歳
西岡 善信(にしおか よしのぶ、1922年7月8日 - 2019年10月11日)は、日本の美術監督・映画プロデューサー。
来歴=
奈良県明日香村出身。
法政大学文学部在学中に徴兵され、朝鮮半島で終戦を迎えた。
1947年までソ連に抑留され、帰国後の1948年、大映京都撮影所に入社。
美術部に配属された。
1952年、『天保水滸伝』(安達伸生監督)で初めて美術監督を務め、以降大映が製作した約180本の映画で美術監督を務めた。
1952年に市川崑の監督映画『あの手この手』で美術監督を務めたのをきっかけに、大映京都製作の市川監督作品の全てで美術監督を務めた。
大映倒産の後1972年、旧大映社員とともに「映像京都」を設立し、代表取締役社長を務める傍ら、美術監督、プロデューサーとして活躍。
1989年に松竹京都映画常務取締役、1994年にはKYOTO映画塾塾長に就任。
2002年に第20回川喜多賞を受賞。
2010年8月31日をもって、自身の高齢を理由に「映像京都」を解散した。
1992年紫綬褒章、1997年勲四等旭日小綬章、1999年京都府文化賞、2001年伊・文化賞(エンリオ・フライアーノ賞)、2004年京都市文化功労賞。
2019年10月11日、老衰のため京都市内の病院で死去。
97歳没。
主な作品=
地獄門 (1953年)
炎上 (1958年)
かげろう絵図 (1959年)
ぼんち (1960年)
忠直卿行状記 (1960年)
風と雲と砦(1961年)
剣に賭ける (1962年)
手討 (1963年)
越前竹人形 (1963年、毎日映画コンクール美術賞受賞)
若親分出獄 (1965年)
……
西岡善信さんが亡くなってから、5年と42日が経ちました。(1868日)