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イオ・ミン・ペイ 氏Ieoh Ming Pei

建築家[中国→アメリカ]

2019年 5月16日 死去享年103歳

イオ・ミン・ペイ - ウィキペディアより引用

イオ・ミン・ペイ(Ieoh Ming Pei、1917年4月26日 - 2019年5月16日)は、アメリカ合衆国の中国系アメリカ人建築家。
I・M・ペイと表記されることが多い。
漢名は貝 聿銘(普通話拼音: Bèi Yùmíng)。
ルーヴル美術館のガラスピラミッドを設計した建築家として広く知られる。
経歴[編集] 中華民国の広州市で、銀行員で後に中国銀行の頭取を務めた父ツーイー・ペイ(貝 祖貽(中国語: 貝祖貽))と母リエン・クンの間の1男第2子として生まれた。
ペイ家は蘇州で代々地主を務めてきた裕福な家柄であった。
1918年、イオ・ミンが生まれて間もない頃、孫文政権から父ツーイーの勤めていた銀行に資金援助の要請が来た。
当時支店長であったツーイーはこれを断り、身元に危険が及んだ。
このため、ツーイーは家族を連れ、当時イギリス領であった香港へ亡命した。
その後孫文政権に許され、家族は父の仕事の勤務地となった上海へと移った。
家族は上海のフランス租界で暮らし、イオ・ミンも欧米の文化に親しみながら過ごした。
一方で母の死後は祖父を通して中国の伝統文化にも親しんだ。
このようにイオ・ミンは東洋と西洋の二つの文化の間で多感な少年時代を過ごした。
イオ・ミンは香港の名門セント・ポール・カレッジを卒業後、上海のセント・ジョンズ・スクールへ進学。
1935年、17歳の時に渡米し、ペンシルベニア大学建築学科に入学したが、ボザール式の古典的な建築教育と人種差別 ……

関連作品

イオ・ミン・ペイさんが亡くなってから、5年と73日が経ちました。(1899日)