フランシスコ・ラザロFrancisco Lázaro
陸上マラソン選手[ポルトガル]
(1912年ストックホルム五輪のマラソン競技中に倒れ、翌日死亡。)
1912年 7月15日 死去享年22歳
フランシスコ・ラザロ(Francisco Lázaro、1891年1月21日 - 1912年7月15日)は、ポルトガルの陸上競技選手である。
1912年に開催されたストックホルムオリンピックのマラソン競技中に倒れ、その翌日に死去しており、1896年に近代オリンピックの歴史が始まって以来、オリンピック競技で死去した初めての人物であった。
経歴=
1891年生まれ。
生家は貧しく、大工として生計を立てていた。
長距離選手として有名になり、すでに1910年のリスボンマラソンを始めとして国内のマラソンで3回の優勝経験があった。
ストックホルムオリンピックに初出場した際には、開会式では旗手を務めている。
この時のマラソン競技は、19か国から68人の選手が出場して7月14日に開催された。
気温が40度に達し、日陰でも32度を計測するという記録的な暑さで選手のうちほぼ半数の33名が途中棄権する事態となり、金栗四三のように日射病で意識を失う者もいた。
ラザロは、30キロ過ぎの給水所を越えてゴールまであと8キロを残した地点で倒れて意識を失った。
ラザロが倒れたという知らせはすぐに伝えられて、当番の医者が駆けつけた。
倒れてから約1時間半後に、ラザロは病院に搬送されて夜通しの治療を受けたが体温は42.1度という高温になっており、意識が戻ることはなくその翌朝6時に死去した。
ストックホルムオリンピックマラソンで走るラザロ(1912年)
死因については、競技実施日の記録的な暑さによる深刻な脱水症 ……
フランシスコ・ラザロが亡くなってから、112年と93日が経過しました。(41001日)