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プブリウス・セプティミウス・ゲタPublius Septimius Geta Augustus

ローマ帝国共同皇帝[ローマ帝国]

(ユリウス暦) 0211年 12月26日 死去暗殺享年23歳

プブリウス・セプティミウス・ゲタ - ウィキペディアより引用

プブリウス・セプティミウス・ゲタ・アウグストゥス(ラテン語: Publius Septimius Geta Augustus;189年3月7日 – 211年12月26日)は、ローマ帝国の皇帝。
カラカラの実弟で、共同皇帝として即位した。
生涯= 生い立ち= 兄であるカラカラと同じく、セウェルス朝の初代君主セプティミウス・セウェルスとその後妻ユリア・ドムナの間に生まれた。
ただし属州で生まれた兄とは異なり、首都ローマ滞在中に出生したと考えられている。
「幸せな家庭」を描いた皇帝一家の肖像。
カラカラによってゲタの部分だけが削り落とされたという。
父がアントニヌス朝断絶後の内戦を制して帝位に就くと兄カラカラは副帝に叙任され、後継者である事が内外に示された。
この事が二人の兄弟仲を裂いたと見なされており、ゲタとカラカラはお互いを憎むべき政敵として忌み嫌った。
兄弟の喧嘩は野心家であった后妃ユリア・ドムナの悩みの種であり、兄弟の仲裁に奔走した。
209年、父セプティミウス・セウェルス帝はゲタを宥める為にカラカラに続いて副帝に叙任し、これによって両者は対等となった。
セウェルス朝は異民族との戦いの最中に皇帝一家を「理想的な家庭」として喧伝したが、実際は家庭内対立を抱えていたのである。
暗殺= 211年に、ブリタンニアのエボラクム(現:ヨーク)でセプティミウス・セウェルス帝は病没した。
遺言により直ちにカラカラとゲタが皇帝に即位して新しい治世が始まった。< ……

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