眞木準 氏(まきじゅん)
コピーライター[日本]
2009年 6月22日 死去急性心筋梗塞享年62歳
眞木 準(まき じゅん、1948年10月20日 - 2009年6月22日)は日本のコピーライター。
愛知県知多市出身。
慶應義塾大学経済学部卒業。
生涯=
1971年に博報堂に入社。
同社の制作室クリエイティブチームに在籍し、全日空やサントリー、キヤノンなどの企業の広告コピーを12年に渡って書き続けた。
1983年に博報堂を退社し、フリーに転じた後は伊勢丹、資生堂、三陽商会などの企業のコピーを手掛ける一方で、1988年に朝日新聞社から刊行された週刊誌『AERA』のネーミング考案などにも携わった。
特に伊勢丹のキャンペーン広告は、博報堂在籍時の1978年から手掛けていたが、1984年からは前任者で同じくコピーライターの土屋耕一から引き継ぐ形で、長期間にわたり同キャンペーン広告のコピーを担当した(土屋も1989年まで同キャンペーンのコピーを担当していた)。
東京コピーライターズクラブ副会長、コピーライター養成講座の副校長を歴任。
(1つ上の仲畑貴志は会長・校長)
2009年6月22日、急性心筋梗塞症を発症し、東京都内の病院にて逝去。
60歳没。
人物=
主に駄洒落タイプのコピーが多かったことで知られる。
眞木がコピーを書き始めた1970年代当時、こうした駄洒落コピーに対する評価は冷ややかだったが、これを全日空、伊勢丹、サントリーなどの広告に積極的に用い(眞木自身はこれを「ダジャレではなくオシャレ」と言っていた)、駄洒落コピーのスタイルをつくりあげたことで知られる ……
眞木準さんが亡くなってから、15年と152日が経ちました。(5631日)