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川上宗薫 氏(かわかみそうくん)

作家[日本]

1985年 10月13日 死去享年62歳

川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1985年10月13日)は、日本の小説家。
本名はむねしげと読み、筆名もむねしげと読ませていた時期がある。
愛媛県生まれ。
経歴= 日本基督教団メソジスト派の牧師、川上平三の子として愛媛県東宇和郡宇和町卯之町(現在の西予市)に生まれる。
大分県と長崎県で小学校時代を送り、1937年、鎮西学院中等部(現・鎮西学院高等学校)に首席入学。
第七高等学校や長崎高等商業学校の入試に失敗し、1943年、西南学院高等学部商科に入学。
1944年秋、長崎県大村の陸軍連隊に入隊。
しかし肋膜炎を意図的に悪化させ、敗戦までの約1年間を入院患者として過ごす。
1945年8月9日、母と2人の妹を長崎原爆で喪う。
このため父は棄教。
宗薫は退院の手続きが偶然遅れたために被爆を免れた。
1946年に西南学院専門学校商科を卒業し、九州大学法文学部哲学科に入学、のち英文科に転科。
1947年6月に最初の妻と入籍。
大学に在籍する傍ら、長崎女子商業高等学校で英語を教えて生計を立てる。
1948年3月、長女が誕生。
1949年12月、大学4年生の時、『西日本新聞』の懸賞論文に『文学作品を読むこととは』を応募し三等に入選、賞金1000円を獲得。
このころ学友会文藝部で小説を書き始める。
1949年6月、『九大文学』に処女作『綿埃』を発表。
同じ頃、同誌に川上翠雨の筆名で俳句を発表。
ウィリアム・ブレイクで卒論を書いて1950年に英文科を卒業した ……

川上宗薫さんが亡くなってから、39年と52日が経ちました。(14297日)