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奥田東 氏(おくだあずま)

農学者[日本]

1999年 4月28日 死去享年95歳

奥田 東(おくだ あずま、1905年(明治38年)8月19日 - 1999年(平成11年)4月28日)は日本の農学者。
京都大学総長、日本WHO協会理事長、ユネスコ国内委員などを務めた。
生涯[編集] 生誕から結婚まで[編集] 1905年8月19日に奈良県畝傍で教師・奥田清の長男として生まれる。
なお、戸籍は京都府熊野郡久美浜町(現:京丹後市)。
父親の転勤に伴い広島県福山市に移り、福山南小学校に入学。
その後さらに転勤のため京都市上京区の京極小学校に転校した。
1918年に旧制京都府立京都第一中学校(現:洛北高校)に入学。
同窓生には朝永振一郎、桑原武夫、湯川秀樹らがおり、全員が旧制高校と大学も一緒で、かつ後に京都大学の教授となっている。
1922年に旧制第三高等学校に入学。
同校ではラグビー部に所属していた。
また、同級生には大河内一男がいた。
1925年に京都帝国大学農学部に入学し、1929年の卒業後は東京市西ケ原の農林省農事試験場の技官となった。
ここに在職中に妻のさとと結婚している。
京都大学時代[編集] 1940年に京都帝国大学農学部の肥料学の助教授に就任した。
1947年に教授になり、1949年農学博士になった。
「排水が稲作に及ぼす影響に関する研究」。
1952年には日本土壌肥料学会会長に就任している。
また、1962年には日本学術会議の会員になった。
なお、農学部では、 放射性同位体を利用した植物体内における栄養素の行動の観察 腐食酸、リン酸、ケイ酸 ……

推定関連画像

奥田東さんが亡くなってから、25年と91日が経ちました。(9222日)