下塚誠 氏(しもつかまこと)
俳優[日本]
(旧芸名・下塚諒)
2018年 7月7日 死去享年66歳
下塚 誠(しもつか まこと、1953年9月5日 - 2018年7月7日)は、日本の俳優。
下塚 諒(読み同一)での活動歴もあり。
本名、下塚 一二(しもつか かつじ)。
兵庫県神戸市出身。
兵庫県立鈴蘭台高等学校、放送大学卒業。
兵庫教育大学中退。
柊企画、サン・プロモーション、エムスリーを経て、アイ コンティネンスに所属していた。
来歴・人物=
大学受験のために上京したとき、劇団「東京小劇場」の関係者と知り合いとなったのをきっかけに、俳優養成所「東京新社タレント養成所」に入り、東京小劇場聴講生となる。
劇団の公演やテレビドラマのゲスト出演を経て芸能事務所「柊企画」の所属となり、1974年に『スーパーロボット マッハバロン』(日本テレビ)のオーディションに合格。
主人公・嵐田陽役で主役デビューを果たす。
1977年、関西テレビのテレビドラマ『志都という女』で主演の十朱幸代に思いを寄せる若者を演じて注目され、NHK銀河テレビ小説『昭和の青春シリーズ4 早春の光』で主演を務めたほか、フジテレビ『銭形平次』などのテレビドラマや映画『小説吉田学校』などに出演。
1987年10月には演出・出演を兼ねる「求道塾」を結成し、1988年に旗揚げ公演『霊界通信・地獄物語』を上演。
1976年のプロフィールでは、「芯が通った素直な青年」と評されており、今後の目標について「徐々に自分の居場所をつかんでいきます」と答えている。
特技は、油絵。
趣味は、メディ ……
下塚誠さんが亡くなってから、6年と137日が経ちました。(2329日)