ヤン・チヒョルトJan Tschichold
タイポグラファー、カリグラファー[ドイツ→スイス]
1974年 8月11日 死去享年73歳
ヤン・チヒョルト(Jan Tschichold, 1902年4月2日 – 1974年8月11日)は、ドイツのタイポグラファー・カリグラファーである。
看板屋の長男としてライプツィヒに生まれた。
新しいタイポグラフィの創生に努めたが、ナチスの弾圧を避けてスイスへ移住した後は、伝統的なタイポグラフィを擁護する立場をとる。
同国のロカルノで没した。
なお、もとの姓名は Johannes Tzschichhold である。
Iwan Tschichold と名のっていたこともある。
生涯=
彼はカリグラフィーを学んでいた。
この職人としての生い立ちとカリグラフィーの実践が、建築やアートという分野から育って来た同世代のタイポグラファー達と彼を一線を画すこととなる。
ドイツではアドルフ・ヒトラーの当選後、デザイナーは文部省に登録をしなければならず、共産主義者は教職などから排除されるようになった。
1933年に彼の妻は逮捕され、また彼の部屋からソビエトのポスターが見つかったことから、共産党員との共謀を疑われるようになった。
チヒョルトの書いた本は全てゲシュタポが「ドイツ人防衛のために」押収してしまった。
6週間後、警官がどうやったのかスイス行きのチケットを手に入れ、彼と家族はナチス・ドイツから逃れることができた。
1937年から1938年にかけて(Penrose Annual誌からの招待)と1947年から1949年にかけて( Penguin Books社で働くイギリス人書体デザイナーRuari McLeanからの招待)のイギリス滞在を除き、彼は残りの人生を ……
ヤン・チヒョルトが亡くなってから、50年と102日が経過しました。(18365日)