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松下修也 氏(まつしたしゅうや)

チェロ奏者[日本]

2018年 5月29日 死去心不全享年90歳

松下 修也(まつした しゅうや、1929年[1]3月6日[2] - 2018年5月29日)は、日本のチェロ奏者。
戦後日本チェロ界の草分け的存在とされる[3][4][5]。
略歴= 東京府出身、東京都国分寺市在住[6]。
1946年[2]東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を卒業[5](1945年中退とする資料もある[7])。
先輩に芥川也寸志、同級生に黛敏郎がいた。
チェロを平井保三、斎藤秀雄に師事[7]。
当時は戦中後の食糧難の最中で、西洋音楽は非国民と非難されるためにチェロを持って外出するときは風呂敷で包んで隠すなど苦労を重ねた[5]。
演奏家として= 1949年、第18回日本音楽コンクールで1位となる。
1950年、東京交響楽団の定期演奏会でラロのチェロ協奏曲を弾いてプロデビュー(当時20歳)[7]。
1955年25歳でNHK交響楽団首席チェロ奏者に就任[2][8]、1956年日本フィルハーモニー交響楽団首席チェロ奏者[2][9]、1969年東京交響楽団首席チェロ奏者[2]を歴任する。
1969年よりオランダに留学[7]。
1960年、黛敏郎作曲の「独奏チェロのための“文楽”」(大原美術館30周年を記念した委嘱作[1])を大原美術館にて初演した[1]。
同美術館初のギャラリーコンサートであった。
また「プロムジカ弦楽四重奏団」のメンバーとして岩淵竜太郎、堀伝、江戸純子も共に演奏を行った[10]。
1993年7月23日、北海道南西沖地震の被災者への募金を呼びかけるための、国分寺女性合唱団「コーロ・アマービレ」の記念コンサートに招聘され、北海 ……

松下修也さんが亡くなってから、7年と34日が経ちました。(2591日)

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