松平斉孝(まつだいらなりたか)
美作津山藩主[日本]
(天保9年2月3日没)
1838年 2月26日 死去享年51歳

松平 斉孝(まつだいら なりたか)は、江戸時代後期の大名。
美作津山藩7代藩主。
官位は従四位上・越後守、左近衛中将。
略歴=
5代藩主・松平康哉の三男として誕生。
初名は克孝のち康孝。
文化2年(1805年)に兄で6代藩主・康乂の死去により、その養子として家督を継ぐ。
この頃、津山藩は御家門であるにもかかわらず、石高や待遇において冷遇されていた。
これに不満を持った康孝は、幕府にかつての10万石への復帰を訴えた。
嫡男がいなかったためと家格復活を実現させるため、幕府からの要請もあり、文化14年(1817年)に11代将軍・徳川家斉の十五男・銀之助(後の斉民)を養嗣子として迎えた(10年後に四男・龍次郎(のちの9代藩主慶倫)が誕生する)。
これにより、津山藩は5万石を加増され、昔の10万石に戻されることとなり、官位・家格も向上した。
天保2年(1831年)11月22日、隠居して家督を斉民に譲り名を斉孝と改名した。
天保9年(1838年)2月3日に死去。
系譜=
父:松平康哉(1752-1794)
母:不詳
養父:松平康乂(1786-1805)
正室:箏 - 松平治好の娘
室:中西氏
四男:松平慶倫(1827-1871) - 松平斉民の養子
五男:松平直温(1830-1856) - 松平直興の婿養子
室:法乗院 - 雨林氏
七男:松平定安(1835-1882) - 松平斉斎の婿養子
生母不明の子女
女子:睦 - 本多正寛正室
女子:従 - 松平斉民正室
女子:恂子 - 脇坂安坦正室
女子:山口弘封正室
養子
男子:松平斉民(1814-1891) - 徳川家斉 ……
松平斉孝が亡くなってから、187年と50日が経過しました。(68352日)