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松平慶倫(まつだいらよしとも)

美作津山藩主[日本]

(明治4年7月26日没)

1871年 9月10日 死去享年45歳

松平慶倫 - ウィキペディアより引用

松平 慶倫(まつだいら よしとも)は、江戸時代後期の大名。
美作津山藩9代(最後の)藩主。
官位は正四位下・左近衛中将、三河守。
のち津山知藩事。
生涯= 文政10年(1827年)閏6月5日、7代藩主・松平斉孝の四男として誕生した。
幼名は龍次郎、温之助、淵之丞。
初名は有倫。
弘化4年(1847年)9月、8代藩主・松平斉民の養子となる。
同年12月1日、12代将軍・徳川家慶に御目見する。
嘉永元年(1848年)1月23日、従四位上・左少将・三河守に叙任される。
後に正四位下・左中将にまで昇進する。
安政2年(1855年)5月3日、斉民の隠居により家督を相続する。
文久3年(1863年)、国事周旋の内勅を受け上京し朝廷と幕府との調停にあたり、八月十八日の政変以降は藩内の尊皇攘夷派の排斥をおこなった。
明治2年(1869年)6月、版籍奉還により津山知藩事に任ぜられる。
明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県により免職となる。
同年7月26日、45歳で死去。
法号は慎由。
墓所は岡山県津山市八子の愛山松平家墓所の愛山廟。
しかし、明治政府には死亡を隠し、公的には以下のように届け出た。
「明治4年(1871年)8月10日、隠居し、養子康倫(実父・斉民)に家督を譲る。
同年8月12日、死去。
」 その後、康倫は明治11年(1878年)に没し、弟康民が家督を相続した。
系譜= 父:松平斉孝(1788年 - 1838年) 母:中西氏 養父:松平斉民(1814年 - 1891年) 正室:儀姫 - 黒田長溥養女、奥平昌暢 ……

松平慶倫が亡くなってから、153年と72日が経過しました。(55955日)