毛利子来 氏(もうりたねき)
小児科医[日本]
2017年 10月26日 死去慢性心不全享年88歳
毛利 子来(もうり たねき、1929年11月27日 - 2017年10月26日)は、日本の小児科医。
子供・障害児に関する著書を多数刊行している。
経歴=
千葉県生まれ。
父は内科医。
名前の由来は詩経の中の「霊台」の箇所に出てくる成語である。
帝が民の楽しみのために霊台の建設を企てて呼びかけたところ、女子どもまでもがやってきたというくだりから取られたもので、「子どももやって来る」の意。
大抵、「子来」を「たねき」と読んでもらえないので、自ら「たぬき先生」と称していた。
父親は第二次世界大戦の終了3日前に戦場で拳銃自決した。
戦時中、岡山県の母方の祖父母に預けられるが、祖父は病死し、祖母も重症の火傷を負っていた。
苦学して、岡山医科大学(現・岡山大学医学部)を卒業。
医師になってからは、大阪の社会的底辺層にいる人たちの診療所などに勤務し、そのような診療所の看護婦をしていた女性と結婚。
その後東京に移り、原宿で小児科医院を開業した。
幼児や子どもの見方、援助の仕方などについての世間の考え方を正すべく、啓蒙活動に力を注ぐ。
同様の活動に殉じたヤヌシュ・コルチャックを尊敬しており、NHK-BS「わが心の旅」という番組で、1996年に、コルチャックの足跡を追ってポーランド、ワルシャワを訪れた旅の記録が放送された。
雑誌「小さい・おおきい・よわい・つよい」(ジャパンマシニスト社)の編集者代表、「ワクチントーク・全国」のアドバ ……
毛利子来さんが亡くなってから、7年と42日が経ちました。(2599日)