両角良彦 氏(もろずみよしひこ)
官僚、ナポレオン研究家[日本]
(元通商産業省事務次官)
2017年 8月11日 死去享年98歳
両角 良彦(もろずみ よしひこ、1919年(大正8年)10月4日 - 2017年(平成29年)8月11日)は、日本の官僚。
通商産業事務次官。
電源開発総裁。
ナポレオン研究家。
来歴・人物=
長野県出身。
幼き頃は父・業作(のち陸軍中将)の転勤に伴い、東京府豊多摩郡杉並尋常高等小学校(現・杉並区立杉並第一小学校)、豊橋市立新川小学校、宇都宮市立西小学校と転校を重ねた。
また、この頃から持病である左中耳の根治手術を受け、当時顔の左半分にマヒが残るなどし、以後の人生において苦労した。
宇都宮中学校に入学するが、東京府立第六中学校へ転校。
第一高等学校首席を経て、1941年12月末、東京帝国大学法学部卒業。
総長・平賀譲の出征学徒への送別の辞を聞く。
在学中に高文合格、伯父で商工参与官も務めた今井健彦の縁で商工省に入省した。
同期には、赤澤璋一(のち重工業局長、ジェトロ理事長)、原田明(のち通商局長、松下電工(現・パナソニック電工)副社長)、吉光久(のち中小企業庁長官)など。
1942年1月、燃料局へ出向した。
戦後、GHQとの通訳を務め、反トラスト法・反カルテルの理念に、従来からの重要産業統制法以来、カルテルを是とする日本の秩序との整合性に苦労しながら、主に解説や翻訳を担当した。
部下にのちに「ミスターエネルギー」と呼ばれた生田豊朗(科技庁原子力局長、エネ研理事長)、1964年から経済白書を執筆しエコノミストで知られることに ……
両角良彦さんが亡くなってから、7年と102日が経ちました。(2659日)