運慶(うんけい)
仏師[日本]
(貞応2年12月11日没)
(ユリウス暦) 1224年 1月3日 死去
運慶(うんけい、生年不詳 - 貞応2年12月11日(1224年1月3日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した仏師である。
慶派に属する。
経歴=
出生=
運慶は興福寺を拠点に活動していた奈良仏師康慶の子であるが詳しい生い立ちは分かっていない。
円成寺大日如来像造像銘中に「大仏師康慶実弟子運慶」とあり、この「実弟子」は「実子である弟子」の意と解釈されている。
長男湛慶が承安3年(1173年)生まれであることが、京都市・妙法院蓮華王院本堂(三十三間堂)本尊の台座銘から知られ、その父である運慶は12世紀半ば頃の生まれと推測される。
初期の活動=
運慶の現存最古作は、安元2年(1176年)に完成した奈良・円成寺の円成寺木造大日如来坐像である。
寿永2年(1183年)には、以前から計画していた『法華経』の書写を完成した。
この『法華経』は現在「運慶願経」と呼ばれている(京都・真正極楽寺蔵および個人蔵、国宝)。
経の奥書には48名もの結縁者の名が記され、その中には快慶をはじめ、実慶・宗慶・源慶・静慶など後に仏師として活躍することの知られる者が含んでおり、一門をあげての写経だったことがわかる。
興福寺再興事業への参加=
治承4年(1180年)に平家の兵火により、奈良の東大寺・興福寺が焼亡する。
興福寺の再興造像は、円派、院派と呼ばれる京都仏師と、康慶・運慶らの属する慶派の奈良仏師とが分担した。
当時の中央造仏界での勢力にしたがい ……