秋元松代 氏(あきもとまつよ)
劇作家[日本]
2001年 4月24日 死去肺がん享年91歳
秋元 松代(あきもと まつよ、1911年1月2日 - 2001年4月24日)は、日本の女性劇作家。
俳人の秋元不死男は兄。
経歴=
神奈川県横浜市生まれ。
横浜吉田小学校卒業。
病身と貧困のためそれ以上の進学は叶わなかった。
秋元家は北足立郡美本町美女木の庄屋の出で代々医家でもあったが、祖父の死後家運傾き、婿養子の父・茂三郎は横浜元町で漆器輸出業を営むも成功せず、松代3歳のときに死去、母が和裁の賃仕事などをして家計を支えた。
松代は七人の兄弟姉妹の次女で、長兄は幼時に病死、次兄は秋元不死男(不二男)、三兄は共産党員から転向して古書店を経営、戦時中の予防拘禁を経て戦後は作家を目指した。
四兄は30歳で結核死、妹は出生すぐ他家に養子に出され、長崎で原爆死した。
左翼思想を口にしながら家庭では暴君のようにふるまう兄たちを嫌悪し、総領の不二男のみを大切にする母親にも不満を感じていた松代は、結核を患いながらも二十歳で一人暮らしを始める。
横浜大空襲で実家が倒壊し、戦後も次兄、三兄の逮捕や四兄の入院、自殺未遂など面倒事の処理を任されて肋膜炎にかかり、口先では大層なことばかり言いながら松代の犠牲を当然として慢心している兄たちを嫌った。
1946年に友人の紹介で三好十郎の戯曲研究会に入り、30歳を過ぎてから戯曲を書き始める。
1947年初の戯曲「軽塵」を発表。
1949年「礼服」が俳優座で上演され、注目を集めた。
三好に傾倒していた ……
秋元松代さんが亡くなってから、23年と211日が経ちました。(8612日)