大島博光 氏(おおしまひろみつ)
詩人[日本]
2006年 1月9日 死去肺炎享年97歳
大島 博光(おおしま はっこう、1910年11月18日 - 2006年1月9日)は、日本の詩人、フランス文学者、翻訳家。
生涯=
長野県更級郡西寺尾村(現長野市)に生まれる。
生家は農業、養蚕を営む自作小地主。
1928年に旧制屋代中学(現長野県屋代高等学校)を一期生として卒業。
芥川龍之介、ドストエフスキー、トルストイ、アナトール・フランスなどを耽読する。
1929年、早稲田大学第二高等学院に入学。
1931年、早稲田大学文学部フランス文学科に進学、1934年に卒業。
卒業論文はアルチュール・ランボー論で、指導教授であった西條八十に師事し、1935年から1943年まで西条主宰の詩誌『蝋人形』の編纂にあたる。
1939年、詩誌『新領土』に参加。
翌1940年に最初の著書である詩論集『フランス近代詩の方向』を発表した。
1944年、郷里松代町に疎開。
1946年、日本共産党に入党。
1950年、東京都三鷹市下連雀に居を構える。
戦後、新しい詩の活動に参加し、ルイ・アラゴン、ポール・エリュアールらのフランスのレジスタンス運動の中で生まれた詩を多く紹介する。
チリの詩人パブロ・ネルーダ、スペインの詩人アントニオ・マチャード、ラファエル・アルベルティ、ベトナムの詩人の詩なども翻訳し、紹介している。
1962年の詩人会議グループの創立に参画し、壺井繁治たちとともに民主主義文学運動の詩の分野で活躍した。
1965年の日本民主主義文学同盟の結成にも参加し、一時期は幹事もつとめ ……
大島博光さんが亡くなってから、18年と316日が経ちました。(6891日)