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佐伯孝夫 氏(さえきたかお)

作詞家[日本]

1981年 3月18日 死去食道がん享年80歳

佐伯孝夫 - ウィキペディアより引用

佐伯 孝夫(さえき たかお、1902年11月22日 - 1981年3月18日)は、日本の作詞家。
東京市出身。
本名、和泉 孝夫(いずみ たかお)。
略歴= 早稲田大学文学部仏文科卒業。
在学中西條八十に師事し、その主宰する雑誌『白孔雀』『愛誦』に詩を発表していた。
1931年に国民新聞社(現在の東京新聞社)入社、1937年には東京日日新聞(現在の毎日新聞社)へと移る。
1939年、ビクターレコード専属作詞家となる。
西條八十門下生の1人。
戦前は、佐々木俊一と組み、多くを灰田勝彦や小畑実に作品を提供。
戦後は、作曲家・吉田正とコンビを組み、『有楽町で逢いましょう』、『東京ナイト・クラブ』、『潮来笠』、『いつでも夢を』(第4回日本レコード大賞受賞曲)、『恋をするなら』など数々のヒット曲を生み出した。
また戦前に『イーグルス応援歌』、戦後に『輝けロビンス』および『南海ホークスの歌』とプロ野球の球団歌を複数手掛けている。
1981年3月18日、食道癌のため死去。
享年80(満78歳没)。
1980年12月31日のレコード大賞への電話出演が公の場に出た最後となった。
墓所は九品寺(東京都葛飾区堀切6-22-16)にあり、多磨霊園(21-2-21)にも分骨されている。
なお『ちいさい秋みつけた』などで知られる作詞家のサトウハチローとは交流が深かった。
代表曲= さくら音頭(作曲:中山晋平、歌:小唄勝太郎、三島一声、徳山璉、1934年3月) さらば青春(作曲:加藤しのぶ、歌:藤山一 ……

佐伯孝夫が亡くなってから、43年と248日が経過しました。(15954日)

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