脇田晴子 氏(わきたはるこ)
歴史学者・日本史[日本]
2016年 9月28日 死去享年83歳
脇田 晴子(わきた はるこ、1934年3月9日 - 2016年9月27日)は、日本の歴史学者。
滋賀県立大学名誉教授。
2005年文化功労者、2010年文化勲章受章。
文学博士(京都大学、1969年)(学位論文「中世商工業座の構造」)。
兵庫県西宮市生まれ。
父は俳人の麻野恵三(微笑子)、夫は歴史学者の脇田修。
子は経済学者の脇田成。
略歴=
1956年 神戸大学文学部史学科卒業
1963年 京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学
1967年 京都橘女子大学文学部助教授
1981年 京都橘女子大学文学部教授
1984年 鳴門教育大学学校教育学部教授
1990年 大阪外国語大学教授
1995年 滋賀県立大学人間文化学部教授
2004年 城西国際大学大学院人文科学研究科客員教授
2007年 石川県立歴史博物館館長
研究活動=
中世史を専攻し、商工業論、都市論等から、女性史、芸能史に及ぶ。
網野善彦の中世非農業民が天皇直属であったという説に反対し、遊女の地位をめぐって論争した。
また外国の日本学者との共同作業も多い。
1996年から2004年まで石見銀山遺跡調査整備委員会の委員と、1997年から2004年まで石見銀山歴史文献調査団の団長を務め、2004年から2006年はユネスコへ提出する世界遺産登録推薦書の作成にも関与。
脇田晴子さんが亡くなってから、8年と47日が経ちました。(2969日)