一戸兵衛 氏(いちのへひょうえ)
陸軍大将、明治神宮宮司[日本]
2016年 9月19日 死去急性心不全享年85歳
一戸 兵衛(いちのへ ひょうえ、安政2年6月20日(1855年8月2日) - 1931年(昭和6年)9月2日)は、日本陸軍の軍人。
教育総監、軍事参議官、第1・第4・第17師団長を歴任し、軍を退いてからは学習院院長・明治神宮宮司・帝国在郷軍人会長等の公職に就く。
官位は陸軍大将正二位勲一等功二級。
経歴=
弘前藩士一戸範貞の長男として生まれ、東奥義塾を経て1874年(明治7年)10月陸軍士官生徒として陸軍兵学寮に入り、1876年(明治9年)3月陸軍少尉試補・歩兵第2連隊付を命ぜられる。
1877年(明治10年)の西南戦争に出征し、負傷する。
同年5月少尉に進級する。
1878年(明治11年)2月歩兵第1連隊付に移り、1880年(明治13年)5月には中尉に進級し陸軍教導団小隊長を命ぜられる。
1883年(明治16年)6月大尉に進み歩兵第8連隊中隊長、1885年(明治18年)5月歩兵第10旅団参謀、1887年(明治20年)11月の歩兵第12連隊付を経て1888年(明治21年)2月少佐に進級する。
1889年(明治22年)3月広島鎮台歩兵第11連隊大隊長に移り、1894年(明治27年)6月から日清戦争に出征する。
同年中に中佐に進級し第5師団副官を命ぜられる。
1895年(明治28年)3月歩兵第21連隊長に就任し、同年7月戦役から帰還する。
同8月再び第5師団副官に就き、11月には留守第4師団参謀長に移る。
1896年(明治29年)10月の中部都督部参謀を経て1897年(明治30年)10月、陸軍大佐に任ぜられ近衛歩兵第4連隊長を拝命する。
翌年茨木惟昭中将が師団長を務 ……
一戸兵衛さんが亡くなってから、8年と63日が経ちました。(2985日)