高橋竹山 氏(たかはしちくざん)
津軽三味線奏者[日本]
1998年 2月5日 死去咽頭がん享年89歳
初代高橋 竹山(たかはし ちくざん、1910年6月18日 - 1998年2月5日)は津軽三味線の名人。
本名高橋定蔵。
一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者である。
演歌歌手北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』のモデル。
人物・生涯=
青森県東津軽郡中平内村(現在の平内町)小湊生まれ。
3歳の時に麻疹をこじらせて半失明する。
その後近所のボサマ(盲目の門付芸人)であった戸田重次郎から三味線と唄を習い、17歳頃から東北北部・北海道を門付けしたという。
1933年3月2日に三味線引きの仕事で三陸海岸にある玉川の旅館に宿泊中、夜半過ぎに強い地震に遭った。
これが昭和三陸地震と呼ばれる地震で宿泊していた宿は津波に襲われて全壊。
高橋は地震が収まったあと宿から避難し津波の来る直前に命からがら宿の裏にある山へ避難することができた。
1938年、イタコをしていたナヨと結婚。
太平洋戦争の激化で三味線では生活を支えることが難しくなり、1944年、鍼灸師とマッサージ師の資格取得のため県立八戸盲唖学校に入学。
一時芸の世界から身を引くが、1950年から津軽民謡の神様とも呼ばれた成田雲竹の伴奏者として各地を興行。
その際に雲竹より竹山の芸名を受ける。
1954年から雲竹とともにラジオ青森(現在の青森放送)の民謡番組に出演した。
成田雲竹は高橋竹山に対して、伴奏のみならず他の津軽民謡に三味線伴奏を付けるよう依頼、以後雲竹の作詞作曲した『り ……
高橋竹山さんが亡くなってから、26年と289日が経ちました。(9786日)