コール・ポーターCole Porter
作曲家[アメリカ]
1964年 10月15日 死去腎不全享年74歳
コール・ポーター(Cole Porter、1891年6月9日 - 1964年10月15日)は、アメリカ合衆国の作曲家・作詞家。
本名コール・アルバート・ポーター(Cole Albert Porter)。
機知に富んだ都会的な詞で知られ、ミュージカルや映画音楽の分野で多くのスタンダード・ナンバーを残した。
ミュージカル『キス・ミー・ケイト』は特に人気が高く、日本でもしばしば上演される。
来歴=
インディアナ州生まれ。
6歳でヴァイオリンを、8歳でピアノを習う。
イェール大学在学中に大学公式応援歌『ブルドッグ』を作曲する。
『ブルドッグ』はラグビーのタッチダウンが成功した時に歌われる。
卒業後、ハーバード大学に入学するが、最終的に音楽家としての道を選ぶ。
1915年、ブロードウェイ・ミュージカル『Hands Up』に楽曲提供し、本格的に作曲家として活動を開始する。
しかし、翌年手がけた『まずアメリカを見よ』が、2週間で打ち切られるという挫折を経験し、その後パリに渡る。
1918年、リンダ・リー・トーマスと出会う。
コールは自分が同性愛者であることを告白するが、リンダは結婚に応じた。
ヨーロッパでも作曲活動を続け、1923年にはバレエ曲「Within The Quota」を作曲した。
しかし、依然として成功に恵まれず、1920年代後半に帰国した。
コール・ポーターとエド・サリヴァン(1952年)
1930年、ミュージカル『ザ・ニューヨーカーズ』(en:The New Yorkers)に「ラブ・フォー・セール」等の楽曲を提供した ……
コール・ポーターが亡くなってから、60年と37日が経過しました。(21952日)