中元清純 氏(なかもときよずみ)
作曲家[日本]
(昭和45年の大阪万博では閉会式プロデューサーを務める)
2018年 4月10日 死去肺炎享年89歳
中元 清純(なかもと きよずみ、1930年10月18日 - 2018年4月10日)は、日本の作曲家。
1952年以来、主として宝塚歌劇団の音楽を担当する。
宝塚歌劇団理事、宝塚音楽学校声楽担当などの要職を務める。
兵庫県神戸市出身。
著書に『琵琶の教科[1]』がある。
1970年に開催された日本万国博覧会では、閉会式のプロデューサーを担当した。
宝塚歌劇においては、昭和30年代以降ヒット曲を連発し、宝塚音楽史上に一時代を築いた。
とりわけ音楽担当として参加した「華麗なる千拍子」(1960年)や「虹のオルゴール工場」(1963年)などはひと際成功を収め、その地位を不動のものとし、代表作に数えられる。
特に後者作品では、作曲に対し文部省芸術祭奨励賞を受賞した。
2014年、『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂表彰される。
2018年4月10日、肺炎のため死去。
87歳没。
妻は星美沙(宝塚歌劇団45期生・娘役)、娘は都布良ひとみ(女優、宝塚歌劇団77期生・娘役)。
主な作曲作品=
カッコ内は、楽曲が使用された劇作品名および作詞者。
宝塚団歌=
『いつか夢に見し』(1956年『かっぱの姫君』、作詞:高木史朗)
『落葉散る丘の小径』(1957年『高校三年生』、作詞: 内海重典)
『望郷の琵琶歌』(1958年『花の饗宴』、作詞: 高木史朗)
『流れゆく花びら』(1958年『花の狸御殿』、作詞: 高木史朗)
『花の行列』(1958年『花の狸御殿』、作詞: 高木史朗)
『花の中の子供たち ……
中元清純さんが亡くなってから、6年と225日が経ちました。(2417日)