太田大八 氏(おおただいはち)
絵本作家、左翼運動家[日本]
2016年 8月2日 死去享年99歳
太田 大八(おおた だいはち、1918年12月29日 - 2016年8月2日)は、日本の絵本作家・画家。
来歴・人物=
長崎県大村町(現・大村市)出身。
戦時中に(旧制)多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)図案科を卒業。
1945年8月、徴用で勤務していた会社の出張で広島県大竹に赴き8月5日に広島市に入ったものの、間一髪で原爆被爆を免れ、被爆翌日の惨状を目撃した。
戦後、大阪市で復興のための建築パネルを建てたことをきっかけに美術界に戻り、デザインの仕事をするために東京に帰って「スタヂオ・トーキョー」を設立した。
さらに偶然再会した同級生の依頼で詩のイラストを描いたことがきっかけで、絵本作家となる。
1949年のデビュー以来、130作の創作絵本、230作の児童書の挿絵を手掛けている。
晩年には2007年8月・9月にNHK「みんなのうた」で放送された「おはようのうた」(詞・曲:本間絹子)の背景イラストを担当しており、さらに90歳を超えてからも活躍を見せていた。
また、「子どもの本・九条の会」代表団員を務めていた。
広島での原爆体験=
『わたしの8月15日 - 児童文学作家と画家が語る戦争体験』(あかね書房、1975年)に太田が寄せた絵文章による手記「昭和20年8月5・6・7」によると、1945年当時、航空兵器総局に属していた数えで28歳の太田は、工場・宿舎を短時間で簡易に建設する組み立て建築(現在のプレハブ建築)の設計と製作指導を担当し、米軍の空襲にさらされた全国の地方 ……
太田大八さんが亡くなってから、8年と124日が経ちました。(3046日)