岡崎律子 氏(おかざきりつこ)
歌手[日本]
2004年 5月5日 死去敗血症享年46歳
岡崎 律子(おかざき りつこ、1959年12月29日 - 2004年5月5日)は、長崎県西彼杵郡高島町端島(現:長崎県長崎市)出身の日本の作曲家、シンガーソングライター。
生涯
岡崎孝雄・輝子夫妻の次女として出生。
小学校3年生の時まで端島(軍艦島)に居住していたことで知られるが、父親の孝雄は若くして三菱鉱業の幹部職員を勤め、岡崎家は幹部職員用の3号棟に居住していた。
3号棟は集合住宅の中では各部屋に内風呂と固定電話を有する唯一の建物であった。
このころは個人宅への固定電話の敷設がまだ一般的ではなく、当時の生活水準では律子は裕福な家庭で育った。
島内の学校である高島町立端島小学校で一時期を過ごしたが、一家は端島が閉山するのを待たずに東京に転居した。
高校1年の時に中学からの親友2人(堤真耶と加藤恵子)と共にニューミュージック系ユニット「エレナー」を結成し、3人で音楽活動を始める。
当時の担当はピアノ、コーラスだった。
都内の短期大学を卒業後、一般企業に就職するが、程なく退職して音楽業界に入る。
音楽業界に入った後に「森野律」などの名義でコマーシャル音楽などを手がけたり、アーティストに楽曲を提供していた。
OVA『1月にはChristmas』主題歌「冬のないカレンダー」で、歌手の「岡崎律子」としてトーラスレコードからデビュー。
声優の林原めぐみはこの『1月にはChristmas』が岡崎との出逢いの作品だったと語っている。
大月俊倫が上述の ……
岡崎律子さんが亡くなってから、20年と200日が経ちました。(7505日)