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東田正義 氏(ひがしだまさよし)

プロ野球選手[日本]

2016年 1月2日 死去享年72歳

東田 正義(ひがしだ まさよし、1945年8月1日 - 2016年1月2日)は、奈良県桜井市出身の元プロ野球選手(外野手)。
経歴= 御所工業では3年次の1963年に中堅手として春の選抜へ出場し、準々決勝に進むが、池永正明を擁する下関商業に敗退。
同年の春季近畿大会では、決勝でエース戸田善紀を擁するPL学園高を降し優勝。
夏の甲子園県予選でも決勝に進むが、高田高に惜敗。
高校同期に捕手の元田昌義がいた。
高校卒業後は1964年に三重交通へ入社し、円子宏監督の指導を受ける。
1966年の産業対抗では日通浦和に補強され準々決勝に進出し、日本石油の平松政次から2安打を放つが先発の金田留広が6回に枝松道輝に同点本塁打を喫し、9回サヨナラ負けを喫した。
この時のチームメイトに後にプロで同僚となる竹之内雅史がおり、クリーンアップを組んだ。
1967年の都市対抗では西濃運輸に補強されて出場し、本塁打や適時打を放ち活躍した。
同年のドラフト2位で西鉄ライオンズに入団。
1968年から59試合に出場し、8本塁打を放つ。
1969年は右翼手、左翼手として71試合に先発出場、17本塁打を記録する。
1970年には初の規定打席(24位、打率.233)に到達。
1971年は打率.284(16位)、23本塁打と自己最高の成績を挙げた。
1973年まで外野手のレギュラーを守る。
1974年には故障もあって後半戦は欠場が多かった。
東田は弱体化するライオンズの中で、中西太や豊田泰光を中心とした野武士野球の後 ……

東田正義さんが亡くなってから、8年と324日が経ちました。(3246日)

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