西村楠亭(にしむらなんてい)
絵師・円山派[日本]
(天保5年6月20日没)
1834年 7月26日 死去享年80歳
西村 楠亭(にしむら なんてい、宝暦5年(1755年)‐天保5年6月20日(1834年7月26日))は江戸時代後期の円山派の絵師。
来歴=
円山応挙の門人。
西村氏、名は予章、字は士(子)風、楠亭は号。
京都の商家で木綿縞織を商う嶋屋庄右衛門の子として生まれる。
寛政から天保初年にかけて作画をしている。
天明の大火後に起きた寛政度内裏造営に伴う障壁画では、応挙門下に混じり願書を提出するが採用はされなかった。
肉筆風俗画をよくしている他、絵本の作がみられる。
しかし、今日確認されている作品は、かなり少ない。
文化10 年(1813年)頃成立の「畫師相撲見立」では、前頭筆頭に番付されている。
天保5年、80歳で没す。
墓所は西大谷ともされるが確認されていない。
作品=
絵本=
『壬生絵本扮戯尽(きょうげんづくし)』 1冊 寛政元年(1789年)2月刊
『楠亭画譜』 上中下3冊 享和4年(1804年)正月刊
『楠亭画譜 後編』 1冊 文政9年(1826年)3月刊 - 内題は『人物画譜』。
歌人野口比礼雄の序があり、その年記は「文政六年九月」とある。
肉筆画=
作品名
技法
形状・員数
寸法(縦x横cm)
所有者
年代
落款・印章
備考
競馬図絵馬
絵馬1面
132.5x212.8
御調八幡宮
1804年(文化元年9月)
款記「平安 楠亭寫」/「豫章(?)之印」白文方印
御調八幡宮所蔵の絵馬の中では最も大きい
意馬心猿図絵馬
安井金比羅宮
1804年(文化元年)
難船図絵馬
安井金比羅宮
不詳
……
西村楠亭が亡くなってから、190年と117日が経過しました。(69515日)