ジャン=バティスト・ド・ラ・サールJean-Baptiste de La Salle
宗教家[フランス]
1719年 4月7日 死去享年69歳
ジャン=バティスト・ド・ラ・サール(仏: Jean-Baptiste de La Salle、フランス語発音: [ʒɑ̃ batist də la sal] ジャンバティストゥドゥラサル、1651年4月30日 - 1719年4月7日)は、フランスの宗教家(司祭)・教育者、カトリックの聖人。
経歴=
パリ近郊のサン・シュルピス教会の神学校 (Séminaire Saint-Sulpice) と、ソルボンヌ大学を卒業して司祭になる。
近代教育の先駆者で、当時、西欧では上流階級の子女だけが家庭教師からラテン語による教育をうけるのが一般的だったのに対し、平民のこどもを一堂に集めて学級に分け、日常用語(フランス語)で教育を行うという、現代の学校教育のシステムに通じる革新的な教育法を実践した。
また青少年教育に尽力した。
寺子屋的な個人指導を廃し、学年(年齢)毎のカリキュラムを設定した。
教師による体罰を禁止した。
貧しい家庭の学費を免除した。
これにより,ラ・サールは現代の義務教育の基礎を作ったとも言われる。
当時の迫害はすさまじかった。
聖職者でありかつ貴族でもあるラ・サールが、街のこどもに対し平民の教師と教育を施す光景は、教会や一門から見ると、今でいえばストリートチルドレンや行儀の悪いブラザーとつるんでいるようにしか見えなかったようである。
まず、ラ・サールはその件で、ラ・サール家を出なければならなかった。
ラ・サールに共感した貴族の子弟アベー・クレモン(Abbe' Clement)が学校を建てるというので ……
ジャン=バティスト・ド・ラ・サールが亡くなってから、305年と227日が経過しました。(111628日)