山本信次郎(やまもとしんじろう)
海軍少将[日本]
1942年 2月28日 死去享年66歳
山本 信次郎(やまもと しんじろう、1877年(明治10年)12月22日 - 1942年(昭和17年)2月28日)は、日本の海軍軍人。
最終階級は海軍少将、カトリック教会信者。
正三位勲二等功五級。
族籍は神奈川県平民。
生涯=
皇太子裕仁親王(左)と。
ポーツマス、1921年
相模国鎌倉郡川口村(現・片瀬)の旧家の山本庄太郎・ミツ夫婦の次男として生まれ、父親が持ち家をマリア会の別荘として貸していた関係から、小学校卒業後、マリア会の暁星中学校に入学した。
暁星中学校は禁教令廃止後に開設されたカトリック教会系の学校であるが、当時はキリスト教に対する敵視が根強く、彼も当初は侮蔑を抱いていた。
だが学校を運営しているマリア会の修道士と過ごしているうちにキリスト教を次第に理解するようになる。
信次郎は父にカトリックを学ぶ許可を得ようとしたが大反対を受けた。
父は寺の檀家総代を務めていた。
彼は諦めず父を説得し、三度目でようやく許可を得て校長であるアルフォンス・ヘンリック神父のもとで要理を学び、1893年(明治26年)12月24日、クリスマス前夜に洗礼を受けた。
洗礼名は「ステファノ」。
卒業目前、彼は進路に悩み、その相談をヘンリック神父に持ちかけ、神父から軍人を志すように薦められた。
1898年(明治31年)、海軍兵学校を卒業(26期、席次は59名中17番)。
1900年(明治33年)、海軍少尉に任じ、累進して海軍少将となる。
1903年(明治36年)、兄・百 ……
山本信次郎が亡くなってから、82年と266日が経過しました。(30217日)