エリア・カザン 氏Elia Kazan
映画監督、俳優、演出家[オスマン帝国→アメリカ]
2003年 9月28日 死去享年95歳
エリア・カザン(Elia Kazan [ˈiːljə kəˈzæn]、本名: Elias Kazanjoglou、1909年9月7日 - 2003年9月28日)は、トルコ生まれのギリシャ系アメリカ人の俳優、演出家、映画監督。
息子は映画監督で脚本家のニコラス・カザン。
女優のゾーイ・カザンとマヤ・カザンは孫。
経歴=
誕生からアクターズ・スタジオ創設まで=
エリア・カザンはオスマン帝国の首都だったイスタンブールのギリシャ人の家庭にエリアス・カザンジョグル(ギリシア語: Ηλίας Καζαντζόγλου Elías Kazantzóglou、トルコ語: Elias Kazancıoğlu)として生まれた。
両親はカイセリ出身であり、トルコ語の姓(「カザンジュの子」)を名乗っていた。
1910年代にギリシャ王国がオスマン帝国と戦争したためにギリシャ人は住みづらくなったので、カザンが4歳のとき、両親はアメリカ移住し、ニューヨークで絨毯の輸入販売を手がけた。
カザンは演出家を目指し、イェール大学などで演劇を学んだ。
1933年、ニューヨークの劇団「グループ・シアター」(1931年創設、1941年解散)に入団、俳優として舞台に立った。
初舞台作品は、クリフォード・オデッツの『レフティを待ちつつ』(1935年)。
この頃にカザンは、アメリカ共産党に短期間入党していた。
グループ・シアターは、モスクワ芸術座の演出家コンスタンチン・スタニスラフスキーの構築した演技理論「スタニスラフスキー・システム」を俳優指導法として採用していた。
このことが、後 ……
エリア・カザンさんが亡くなってから、21年と55日が経ちました。(7725日)