テレンス・ヤング 氏Terence Young
映画監督[イギリス]
1994年 9月7日 死去心不全享年80歳
ショーン・テレンス・ヤング(Shaun Terence Young、1915年6月20日 - 1994年9月7日)は、イギリスの映画監督。
映画007シリーズの初期の監督として知られる。
来歴=
英国警察署長の父のもと、1915年、上海市の共同租界に生まれる。
英国で学び、ケンブリッジ大学を出る。
大学ではテニス・ラグビー・クリケットが得意だった。
大学新聞に批評を書き、夏はブリティッシュ・インターナショナル・ピクチャーズでアルバイトをし、卒業後脚本家となる。
1941年、メロドラマ『デンジャー・イン・ムーンライト』の脚本家として注目される。
ヤングは第二次世界大戦後期のマーケット・ガーデン作戦の際、イギリス軍の戦車部隊長を務めており、激戦地のアルンヘムで砲撃の指揮をとっていた。
後に「もう少し左を狙っていたら(当時同地に住んでいたオードリー・ヘプバーンを撃ってしまって)、今頃はこの仕事についていないだろう」とよく冗談を言っていたという。
ロンドンで脚本家、助監督を経て監督になり、1953年の『赤いベレー』でハリウッドデビューを果たす。
1962年には007シリーズ第1作『ドクター・ノオ』をヒットさせ、『ロシアより愛をこめて』、『サンダーボール作戦』の3作を監督した。
映画を作るにあたり、無名だったショーン・コネリーを行きつけの高級テーラーに連れて行き、スーツを日常的に着させるところから始めたことから、ジェームズ・ボンドのファッションはテレンス・ヤ ……
テレンス・ヤングさんが亡くなってから、30年と75日が経ちました。(11033日)