三味線豊吉(しゃみせんとよきち)
三味線奏者[日本]
1964年 4月8日 死去享年60歳
三味線 豊吉(しゃみせん とよきち、1903年5月1日 - 1964年4月8日、本名:三輪トヨ)は昭和初期から中期にかけて活躍した歌謡曲・端唄・俗曲の三味線奏者、放送タレント。
略歴・その人柄と周辺=
東京・神田生まれ。
実家は材木問屋である。
最終学歴は淡路尋常小学校6年。
級長を務めるほど成績優秀であった。
幼少より芸事を好み、12歳の時に粋人の伯父の勧めにより芸で身を立てる決心をする。
しかし猛稽古によって喉を潰してしまう。
尋常小学校卒業後吉原の花柳界に入り芸者となる。
本人は先輩芸妓で踊りの名手だった丸子に憧れ、踊りを専門にしたいと希望したが、丸子より「あんたは(猛稽古で潰した)声も器量も良くないんだから、三味線の方が出世するんじゃないかしら」と言われ、長唄・常磐津・清元・歌沢・義太夫の三味線の修行に専念することになる。
自身の些細なミスによる失恋を機に16歳で新橋烏森の花柳界へと移り、その類まれな三味線の腕と豪放磊落な人柄で人気を集め、頭角を表す。
烏森の芸者として活躍していた豊吉の評判は草創期のラジオ局や、流行歌の売り出しに力を入れ始めたレコード会社へも届き、昭和に入って間も無い頃からまず本業(芸者)の専門分野である端唄・俗曲の伴奏を手始めにコロムビアレコードでレコーディングに携わるようになり、1929年(昭和4年)頃からはラジオ放送にも出演を始めた。
その演奏は、正確な音程はもちろんのこと ……
三味線豊吉が亡くなってから、60年と227日が経過しました。(22142日)