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オチ・オサム 氏

画家[日本]

2015年 4月26日 死去急性心筋梗塞享年80歳

オチ・オサム(本名: 越智靖、1936年3月22日 - 2015年4月26日)は、日本の前衛芸術家。
人物= 1950年代から1960年代にかけて活動した日本の前衛芸術グループ「九州派」の創設者の一人。
1954年私立竜谷学園高等部卒業 (美術部で絵画を学ぶ) 1955年19才、第40回二科展で2点初入選、第九室に展示される「花火の好きな子供」「マンボの好きな子供」 岡本太郎に認められ二科展新人賞候補となる。
「美術手帖」1955年11月号P40P42に掲載。
この時、岡本太郎によって越智靖から作家名がオチ・オサムとなる。
言わば名付け親である。
同時にアートクラブに入る。
同じく1955年に二科展に入選した桜井孝身と翌年の二科展激励会で二人が出会い、その日の内に桜井宅でグループ結成の話を している。
桜井孝身宅で迎えた二人の夜明け、それは「九州派」の夜明けでもあり、歴史的出会いといわれる所以である。
(西日本新聞「駆け抜けた前衛」九州派とその時代より) 経歴= 1954年(18才) 第10回福岡県美術展 (福岡市岩田屋) 作品「赤い顔」 1955年(19才) 製版印刷(株)勤務  1955年(19才) 第40回二科展で2点初入選、第九室に展示される「花火の好きな子供」「マンボの好きな子供」   岡本太郎に認められ二科展新人賞候補となる。
「美術手帖」1955年11月号P40P42に掲載。
1956年(20才) 9人展 サトウ画廊 (東京)    二科展九室会メンバーによるグループ展 作品「シグナル」  1956年(20才) ……

オチ・オサムさんが亡くなってから、9年と210日が経ちました。(3497日)

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