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丸田祐三 氏(まるたゆうぞう)

将棋棋士[日本]

2015年 2月17日 死去享年97歳

丸田祐三 - ウィキペディアより引用

丸田 祐三(まるた ゆうぞう、1919年(大正8年)3月30日 - 2015年(平成27年)2月17日)は、将棋棋士。
九段。
平野信助七段門下。
棋士番号43。
長野県長野市出身。
日本将棋連盟会長を務めた。
経歴= 商業学校(第二次大戦後の商業高等学校に相当)を中退して運動具店の店員になった。
その後、東京・渋谷の将棋道場で平野信助七段に棋才を見いだされ、平野門下で棋士を目指すこととなった。
1936年(昭和11年)に奨励会に入会する際には、平野から、丸田の棋力なら2級か3級でも入会できるが、6級なら無試験で済む、と言われ、6級で入会した。
奨励会入会から2年後の1938年(昭和13年)に初段、翌1939年(昭和14年)に二段と順調に昇段したが、1940年(昭和15年)に陸軍に入営。
餞別として三段を贈られ、奨励会員のまま軍隊生活に入った。
1945年(昭和20年)の太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦まで軍務に就いた丸田であるが、頭脳明晰で計数に明るいことを評価され、所属する大隊の経理業務を任され、軍曹に進級して終戦を迎えた。
1946年(昭和21年)に復員した。
東京・浅草にあった家は空襲で焼失していた。
両親は戦災死、丸田と同じく出征していた兄は終戦の前に戦病死しており、戦争を生き残った肉親は、既に嫁いでいた姉ひとりであった。
姉の嫁ぎ先に頼れる状況ではなく、丸田は直ちに生計の道を探さねばならなかった。
丸田は、懇意であった渡辺東一・八段(のちに日 ……

丸田祐三さんが亡くなってから、9年と278日が経ちました。(3565日)