フアン・ペロンJuan Domingo Peron
軍人、政治家、大統領[アルゼンチン]
1974年 7月1日 死去享年80歳
フアン・ドミンゴ・ペロン(Juan Domingo Perón、1895年10月8日 - 1974年7月1日)は、アルゼンチンの軍人、政治家、大統領。
大統領に3回当選したが、軍事クーデターで政権を取った企業国営化推進、外資排斥を打ち出すなどアルゼンチン・ナショナリズム・左派ポピュリズムの政治家又は独裁者であり、南米における左派ポピュリズムの元祖的な存在である。
国内の労働組合をCGT(アルゼンチン労働総同盟)の傘下に再編し、軍部協調による国家社会主義(state socialism)に基づく全体主義的支配をした。
1946年の初政権では積極的工業化と産業国有化政策の行き詰まりで、1955年に一度目の権力追放された。
3度目の彼の統治でアルゼンチンはデフォルト(債務不履行)に陥ったこともある。
そのため、アルゼンチン国内でもその評価は分かれる。
ペロンの支援者「ペロニスタ」が母体となった正義党(ペロン党)は、現在でも同国内で大きな影響力を持っている。
経歴=
生い立ち=
1895年にアルゼンチンの首都のブエノスアイレス郊外のロボスで、中産階級の下の家庭でイタリア系の父とスペイン系の母の間に生まれた。
なお、私生児とされ、母方の家系をさかのぼれば、先住民の先祖にたどりつく。
8歳でブエノスイアレス郊外の小学校に入学し、その後16歳でアルゼンチン陸軍士官学校へ進学した。
軍人=
陸軍少尉時代のペロン(1921年)
1913年12月に士官学校を卒業した後、アルゼンチン陸軍の第12歩兵師団に ……
フアン・ペロンが亡くなってから、50年と143日が経過しました。(18406日)