古垣鉄郎 氏(ふるかきてつろう)
ジャーナリスト[日本]
(ペンネーム・中馬藤十郎)
1987年 3月8日 死去享年88歳

古垣 鉄郎(ふるかき てつろう、1900年(明治33年)9月20日 - 1987年(昭和62年)3月8日)は、日本のジャーナリスト、外交官。
筆名は中馬 藤十郎[3]。
来歴=
1900年(明治33年)に鹿児島県日置郡日置村大字日置(現在の日置市日吉町日置)に生まれる[1][4]。
第一高等学校を卒業したのち、島津奨学資金の援助でフランス共和国のリヨン大学法学部へ留学し同校を卒業した[1][5]。
1923年(大正12年)からジュネーブに駐在し国際連盟事務局情報部に勤務した[5][6]。
同部ではロックフェラー3世が連盟を学ぶために配属されており、古垣は彼と同室で過ごして面倒を見ている[5]。
1929年(昭和4年)に国際連盟事務局を退職し、同年に朝日新聞社に入社してロンドンとパリに在住し、論説委員としてロンドン支局長、欧米部長、ヨーロッパ支局長などを務めた[1][5]。
1946年(昭和21年)5月18日に貴族院議員に勅選[5][7]、幣原喜重郎内閣により設置された(大東亜)戦争調査会において参与に選任されたが、程なく調査会は廃止された[8]。
同年NHKに入り5月に専務理事に就任する[1][9]。
専務期には文部大臣の諮問機関である国語審議会副会長、漢字に関する主査委員会委員を務め国語政策への提言に関与した[10][11][12][13]。
高野岩三郎会長の死去に伴い、1949年(昭和24年)5月に古垣はNHK会長となった[1][9]。
同年、GHQはパブリック・リレーションズを日本で定着させるために、民間情報教育局(CIE)職員を講師とした「弘報 ……
古垣鉄郎さんが亡くなってから、38年と116日が経ちました。(13996日)