村山定男 氏(むらやまさだお)
天文学者[日本]
2013年 8月13日 死去前立腺がん享年90歳
村山 定男(むらやま さだお、1924年〈大正13年〉4月9日 - 2013年〈平成25年〉8月13日)は、日本の天文学者。
国立科学博物館に長く奉職し、生涯を通じて天文普及活動に尽力した。
生涯=
東京府東京市本郷区(現:東京都文京区本郷)で出生。
父は村山達三(医師、東京都立駒込病院院長)、母方の祖父は宮入慶之助(寄生虫学者、九州帝国大学医学部名誉教授)。
幼少時から天文学に親しみ、5歳の時に望遠鏡で観望した火星をスケッチした。
小尾信彌(天文学者)は、誠之小学校(現:文京区立誠之小学校)の同級生であった。
武蔵高等学校(旧制)を経て東京帝国大学理学部化学科を卒業した。
村山自身は東京帝大天文学科への進学を希望していたものの、父の「天文学では食って行けない」という意見に従って化学科に進んだ。
1946年(昭和21年)に東京科学博物館(現:国立科学博物館)に奉職し、1989年(平成元年)に、国立科学博物館 理工学研究部長を最後に65歳で定年退官した。
天文学者としての専門分野は「隕石の研究」と「火星の観測」。
藤井旭や小山ひさ子と共に、私設天文台「白河天体観測所」を1969年(昭和44年)に開設した同人の一人であった。
2013年(平成25年)8月13日、前立腺癌のため死去。
満89歳没。
天文普及活動への尽力=
村山は国立科学博物館で天文ファンへの普及活動に尽力し、同博物館で1931年(昭和6年)から続く夜間天体観望会(毎週の土曜日)の講師、 ……
村山定男さんが亡くなってから、11年と100日が経ちました。(4118日)