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山口仙二 氏(やまぐちせんじ)

被爆語り部[日本]

2013年 7月6日 死去享年84歳

山口 仙二(やまぐち せんじ、1930年〈昭和5年〉10月3日 - 2013年〈平成25年〉7月6日)は、長崎原爆の被爆者、日本の反核平和運動家。
人物・生涯= 被爆者として= 1930年、長崎県南松浦郡玉之浦町(現在:長崎県五島市玉之浦町)に、四男四女の8人きょうだいの次男として生まれる。
家は半農半漁で10段の段々畑があり、主にサツマイモを栽培していた。
漁業は延縄漁でイシダイなどは売り、雑魚が食卓用だったほか、イカ釣りや鰻取りなども行っていた。
また、父は製菓業「月美堂」を営んでいた。
1945年(昭和20年)8月9日、長崎県立長崎工業学校1年時の14歳の時に、学徒動員で通っていた長崎市の三菱長崎兵器製作所大橋工場裏(長崎原爆の爆心地から1.1kmの地点)で、防空壕を掘る作業中に被爆した。
顔と左右上肢、躯幹に第二度の大火傷を負い、中等量の出血という重傷を負った。
山口は浦上川に飛び込んで泳ぎ、崖をよじ登って本原山の方に逃げた。
同日の内に大村海軍病院(現・国立病院機構長崎医療センター)に搬送され、リバノール肝油の塗布やビタカンフル、高張葡萄糖液の注射の治療が施され、8月11日の16時20分に重症と診定された。
1946年(昭和21年)3月9日に退院した。
退院後も、顔から胸に残ったケロイド痕(厳密には肥厚性瘢痕)に悩まされた。
1951年(昭和26年)に長崎工業学校機械科を卒業したが、就職時の学徒動員先だった三菱造船(現在の三菱重工業長崎造船所)をはじ ……

山口仙二さんが亡くなってから、11年と270日が経ちました。(4288日)

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