武智文雄 氏(たけちふみお)
元プロ野球選手[日本]
2013年 7月1日 死去心不全享年88歳
武智 文雄(たけち ふみお、1926年11月4日 - 2013年7月1日)は、岐阜県稲葉郡前宮村(現:各務原市)出身のプロ野球選手・コーチ・解説者。
史上2人目、並びにパシフィック・リーグの投手としては初の完全試合達成者。
沢藤光郎・黒尾重明・関根潤三らとともに、草創期の近鉄パールスの主力投手の一人として活躍した。
1954年までの姓名は田中 文雄(たなか ふみお)。
翌1955年春に結婚し、夫人の実家である武智家の婿養子となり改姓した。
元阪急ブレーブスの田中照雄投手、元東映フライヤーズの田中和男内野手は弟。
経歴=
1941年に名門・岐阜商業野球部に入るが夏の甲子園が中止になったこともあり中退し、自ら志願し予科練に入隊する。
戦後は岐阜のノンプロチーム大日本土木に所属し、同チームの戦後初となる都市対抗野球大会連覇に貢献した後、1950年に新設の近鉄パールスへ入団した。
同球団の契約第1号選手でもある。
本来はアンダースロー投手だったが、初年度に藤田省三監督の意向で慣れないオーバースローで投げるよう命令され夏までに1勝も挙げることができず、監督に直訴しアンダースローに転向。
11月15日の大映スターズ戦で、スタルヒンと投げ合って初勝利を挙げた。
下手からの切れのいいシュートを武器に、エースとして弱小チームを支えた。
1954年には26勝を挙げ、南海の宅和本司と並び最多勝利を獲得。
1955年6月19日、大阪球場で行われたダブルヘッダー第2試合 ……
武智文雄さんが亡くなってから、11年と143日が経ちました。(4161日)