宅和本司 氏(たくわもとじ)
元プロ野球選手、監督[日本]
2024年 8月4日 死去肺炎享年90歳
宅和 本司(たくわ もとじ、1935年7月18日 - 2024年8月4日)は、日本のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
福岡県北九州市門司区出身。
パ・リーグ初の投手三冠王を達成している。
経歴=
プロ入り前=
父・栄蔵は水槽を作ったり、畑仕事、大工をしていた。
門司東高校時代はエースとして、2年次の1951年に秋季九州大会優勝の原動力となる活躍を見せるが、3年次の1952年に学校上層部が余計な気を回し、春の選抜出場を控える野球部員の学年末試験を免除し合宿をさせていた事実が発覚。
これが問題視され一度は正式に選ばれた代表校の座を返上し、同校は一度も甲子園出場を果たせぬまま2009年3月に閉校となったが、閉校式後の懇親会において学校側から謝罪の気持ちを込めた功労賞が宅和ら当時の野球部OBに贈られた。
門鉄元監督で南海スカウトの石川正二が連日グラウンドに通い、自宅に来た石川は両親に「いい投手になるから、こちらに任せてほしい」と言った。
父は「お前が正しいと思うならいいんじゃないか」と言い、母・ツイは何も言わなかった。
石川からは『真っすぐで勝負できる投手になりなさい』と言われている。
現役時代=
卒業後の1954年に南海ホークスへ入団。
同期には野村克也、皆川睦男がいる。
バッテリーを組んだ野村とは大阪・初芝にあった寮で同部屋になったこともあり、野村からはいつも「タク(宅和)、速いな」と言われ、「野球ってええな」と語り合 ……
宅和本司さんが亡くなってから、109日が経ちました。