ノーマン・シュワルツコフ 氏
陸軍大将[アメリカ]
(湾岸戦争時の司令官)
2012年 12月27日 死去肺炎による合併症享年79歳
H・ノーマン・シュワルツコフ・ジュニア(英語: H. Norman Schwarzkopf Jr. 1934年8月22日 - 2012年12月27日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人。
最終階級は陸軍大将。
名前のHは、Herbert(英語読み ハーバート)を縮めたものであり、彼の同名の父が、それを嫌ったためとされる。
湾岸戦争にはアメリカ中央軍司令官として出征したが、事実上の多国籍軍総指揮官として、「砂漠の嵐」作戦を成功させる武功を挙げた。
シュワルツコフのIQは168とされ、高IQ者団体のメンサ会員だった。
ドイツ語・フランス語・ペルシャ語に堪能であった。
経歴=
砂漠の嵐作戦中に行われた、アメリカ・サウジアラビア合同記者会見に同席するシュワルツコフ(中央)
ニュージャージー州トレントン生まれ。
ドイツ系アメリカ人の家系であり、父ハーバート・ノーマン・シュワルツコフ少将はイラン政府の軍事顧問を務めたこともあるアメリカ陸軍軍人であった。
1953年にクーデターでモサッデク政権を打倒する立役者の1人であり、1932年に発生したリンドバーグ愛児誘拐事件の捜査を管轄するニュージャージー州警察長官を務めていた。
母親はトーマス・ジェファーソンと遠縁の家系であった。
12歳の頃、イラン政府軍事顧問を務めていた父とテヘランに住んだ。
この時に、乗馬や狩猟を覚え、中東の文化に興味を抱いた。
ヴァリー・フォージ・ミリタリ-・アカデミーを経て、1956年にアメリカ陸軍士官学校を卒業。
1964年 ……
ノーマン・シュワルツコフさんが亡くなってから、11年と329日が経ちました。(4347日)