鼎春嶽(かなえしゅんがく)
絵師、篆刻家[日本]
(文化8年8月13日没)
1811年 9月30日 死去享年46歳
鼎春嶽(かなえ しゅんがく、 明和3年(1766年) – 文化8年8月13日(1811年9月30日))は、江戸時代中期の日本の南画・篆刻家である。
名は元、字を世宝、浪華の人。
略伝=
池大雅の門人・福原五岳に師事。
画に巧みで篆刻も嗜んだ。
岡田米山人らと交流がある。
稲毛屋山の印譜『江霞印影』にその刻印が掲載されている。
子の金城も画家となっている。
享年46。
墓所は大阪天満専念寺。
南画家であるが、代表作の「四季耕作図屏風」のように身近な題材をテーマとする絵も多い。
代表作=
作品名
技法
形状・員数
寸法(縦x横cm)
所有者
年代
落款・印章
備考
四季耕作図屏風
紙本著色
六曲一双
瀬戸内海歴史民俗資料館
1798年(寛政10年)
賀川の旧家に伝来。
春嶽漁楽画帖
紙本墨画淡彩
1帖
27.3x42.1(見開き)
関西大学
煙霞山水図
絹本墨画淡彩
1幅
大阪歴史博物館
款記「横雲嶺外千重樹流 水聲中三五家 春嶽鼎新寫」/印章「元新之印」白文方印・「世宝氏」白文方印
鼎春嶽が亡くなってから、213年と52日が経過しました。(77850日)