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小倉遊亀 氏(おぐらゆき)

日本画家[日本]

2000年 7月23日 死去老衰享年106歳

小倉遊亀 - ウィキペディアより引用

小倉 遊亀(おぐら ゆき、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、日本画家。
本名はゆき。
旧姓は溝上。
女性初の日本美術院同人。
上村松園・片岡球子と並ぶ日本を代表する女性画家の一人。
代表作品に「O夫人坐像」「小女」「浴女」など。
経歴= 現在の滋賀県大津市中央に生まれる。
1913年、滋賀県立大津高等女学校(現在の滋賀県立大津高等学校)を卒業後、1913年、奈良女子高等師範学校(現在の奈良女子大学)国語漢文部に入学。
1917年、奈良女子高等師範学校を卒業し、京都第三高等小学校に着任。
1919年、椙山高等女学校教諭、1920年、捜真女学校教諭を務める。
同年、安田靫彦に師事する。
1926年、「胡瓜」が院展に入選。
1932年、女性として初めて日本美術院同人に推挙される。
1938年、山岡鉄舟門下の小倉鉄樹と結婚し、それ以降は鎌倉に居住した。
1976年、日本芸術院会員。
1978年、文化功労者。
1980年、上村松園に次いで女性画家2人目となる文化勲章を受賞。
1981年、大津市名誉市民。
1990年から1996年まで、日本美術院理事長を務めた。
1995年、鎌倉市名誉市民。
1998年、奈良女子大学初の名誉博士。
2000年7月23日、105歳で死去した。
同日、従三位に叙される。
戒名は「大梅院天池遊亀大姉」。
遊亀の作風は1950年頃までは、細密な描写や端正な作品構成が特徴的である。
1951年から1965年頃までの作品は、マチスやピカソといった西洋絵画を研究した成果が大胆に ……

小倉遊亀さんが亡くなってから、24年と121日が経ちました。(8887日)

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