メナヘム・ベギン 氏Menachem Begin
政治家、首相[イスラエル]
1992年 3月9日 死去享年80歳
メナヘム・ベギン(מנחם בגין、Menachem Begin 発音ⓘ、ロシア語: Менахем Вольфович Бегин、1913年8月16日 - 1992年3月9日)は、イスラエルの政治家。
1977年から1983年までイスラエルの首相を務めた。
息子に科学相を務めたベニー・ベギンがいる。
概説=
ベギンはロシア領ブリスク(現ベラルーシ領ブレスト)に生まれた。
1919年から1939年にかけて、ブレスト・リトフスクはポーランド領であったが、1939年ソビエト連邦によって占領された。
そのため、1940年から1941年にかけてソ連に収監されていた。
1941年に解放され、ソ連領内につくられたポーランドのアンデルス軍団に参加。
家族はナチスに殺されている。
1942年のソ連脱出後はユダヤ人の非公然武装組織イルグンに参加し1947年頃にはそのリーダーとなり、アイルランドの活動家・マイケル・コリンズを師と仰いだ。
エルサレムのキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件(当時パレスチナを統治していたイギリス軍の司令部が所在)を実行した。
イルグン・ツヴァイ・レウミとそのリーダーのベギンは1948年の第一次中東戦争において、デイル・ヤシーン事件などパレスチナ人の虐殺を行ったという悪名でも知られている。
また、「パレスチナ人は2本足で歩く野獣である」と公言していた。
イスラエル独立後にリクードを設立した。
1967年6月に無任所相として初めて入閣した。
1977年5月17日イスラエル首相に就任し1983年まで務め ……
メナヘム・ベギンさんが亡くなってから、32年と257日が経ちました。(11945日)