小笠原長重(おがさわらながしげ)
武蔵岩槻藩主、老中[日本]
(享保17年8月1日没)
1732年 9月19日 死去享年83歳
小笠原 長重(おがさわら ながしげ)は、江戸時代前期から中期の旗本、譜代大名、老中。
三河吉田藩第4代藩主、のち武蔵岩槻藩初代藩主。
忠知系小笠原家4代。
生涯=
慶安3年(1650年)5月7日、三河吉田藩第2代藩主・小笠原長矩の次男として生まれた。
寛文4年(1664年)3月22日、江戸幕府4代将軍・徳川家綱に謁見し、以降は譜代大名の次男坊として幕府に出仕した。
寛文10年(1670年)7月11日に中奥小姓に就任し、12月28日には切米500俵を支給された。
寛文12年(1672年)4月25日に御側小姓に移り、12月28日に従五位下佐渡守に叙任された。
延宝5年(1677年)11月6日、延寿国吉の刀を賜った。
延宝8年(1680年)に将軍家綱が薨去すると職を免ぜられ、一時寄合旗本に列したが、天和元年(1681年)7月6日には御書院番の番頭として復帰した。
天和2年(1682年)5月21日、切米1000俵を加増されて都合1500俵となる。
貞享2年(1685年)7月9日、三河吉田藩第3代藩主である兄・小笠原長祐の子の長千代が早世し、長祐自身も病がちであったため急遽養子となり、12日に支給されていた1500俵を幕府に返還した。
元禄3年(1690年)6月17日、兄・長祐が死去したことにより遺領を相続、同年10月10日に三河吉田藩4万5000石の第4代藩主となった。
幕府内の役職では、元禄3年(1690年)12月3日に奏者番兼寺社奉行となり、元禄4年(1691年)閏8月26日に京都所司代に就任する。
また、この時に従四位下侍従の官位を受けた。
同年 ……
小笠原長重が亡くなってから、292年と61日が経過しました。(106714日)